前に書いた感想の補足として、今まであまり深く考えてなかったんですが、最終オーディションに対する違和感をまとめてみます。
「久美子が負ける」ことに異論はないのですが、最終オーディションが顧問(滝、松本)側から提案された点が、やはり「大人から子供に対する責任の丸投げ」見えてしまうのがマズいんですよね。
「久美子対真由」を「麗奈対香織」と比較する上での決定的な違いがまさにここで、「麗奈対香織」は香織が自ら志願したのに対し、「久美子対真由」には当人たちの意思が介在していないわけです。確かに、ここはアンバランス。
なのでここは、顧問(滝、松本)が真由をソロに選んだ上で、最終オーディションに向かわせるべきだったと思います。
ただ、久美子は絶対に「顧問が実力で選んだ」ことに対して異論は挟めないし、選ばれた真由が自ら最終オーディションを志願するのはむしろ真由の行動原理にそぐわないです。
そうすると、ここで異論を挟めるのは、奏しかいない。要するに、奏に優子の役割を担わせるわけです。
とはいえ、奏がどれほど異論を挟もうとも、久美子も麗奈も絶対にそれを承諾できないんですよね。ただ、「奏が異論を挟む」という段階が挟まることで、真由が最終オーディションを志願する動機付けになります。
つまり、真由が主張し続けてきた「久美子がソロに選ばれるべき(ただし、自ら辞退はしない)」という考えに、奏の「みんなが納得する最後を作ってほしい」という主張が噛み合うことで、真由が「もう一度吹きたい」と発言すれば、滝もそれを否定はできないでしょうし、滝が認めれば久美子と麗奈も納得せざるを得ないです。
ここまでやれば、「久美子対真由」と「麗奈対香織」の対比もより明確になりますし、奏の役割も強化できます。ただし、ここでのポイントは、奏に「久美子がソロを吹くべき」ではなく「みんなが納得する最後を作ってほしい」と言わせることで、それによって久美子と奏を対立させることなく、真由の行動原理にも沿う形で最終オーディションに繫げられるように感じます。
と、ここまで書いてみて、「いや、TV版の尺だと、展開が収まらないぞ」と感じたので、制作サイドも断腸の思いだったのかも…とは感じます。であれば、最終楽章で、最終オーディションに至る展開をまるっと改変する手もあったように感じますが、さすがにそこまでの英断は難しいかもしれません。
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