2018年4月18日水曜日

コンテンツは無料なのか

「商売よりもいかにマンガを好きになってもらうか」 マンガアプリ「ピッコマ」が「待てば無料」モデルで見せた未来

この記事を読んで、「これってつまり、立ち読みだよね」という理解に至ったとき、やっぱり「コンテンツは無料」なんだという確信を得ました。それも最近の傾向ではなく、大昔からの話として。

ここではコンテンツを「本」に限定します。

要するに、本は書店やコンビニ、図書館に行けば無料で読めるわけです(立ち読みの是非は問いません)。最近の話ではなく、ずっと昔からこの形態は変わってません。
もちろん無料で本を読むには、書店やコンビニ、図書館に足繁く通うという対価が必要です。でも、その対価はコンテンツホルダーに対しては一切支払われません。

じゃあ、どういうときにお金のやり取りが発生するかというと、通うのが面倒だとか、時間や場所を問わずに読みたいとか、「所有」という満足感を得たいとか、そういった要求が発生したときなんですよね。ものすごく極論を言ってしまえば、この考え方が正しいとすると、我々は本というコンテンツに対価を支払っているのではなく、利便性に対価を支払っているわけです。
別の言い方をすると、「美味しいものを食べたい」と思ったらその美味しいものに対価を支払う必要がありますが、「面白い本を読みたい」と思ったら本屋に行って立ち読みすればいいんです。

巷では「昨今はコンテンツの無料化が著しい」とか「コンテンツ無料化は、作家を殺す」といった「最近の潮流」としてのコンテンツ無料化議論が多いのですが、実のところ、「そもそも多くの人にとってコンテンツは無料」なんだというところから議論を始めないと、本質的な解決には至らないのではないかと愚考します。
その意味で、上記リンク先記事のアプローチは、かなり本質を突けているのではないかと、そのように感じているしだいです。

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