2020年9月26日土曜日

今さら『ラブライブ!サンシャイン!!』を振り返ってみる

ラブライブ!が新しい展開を迎えるということで、μ's原理主義者として、なぜAqoursとサンシャインを許せないかを書いてみます。

キャラクターとストーリーという2つの観点のうち、まずキャラクターから。

μ'sを最初に見たとき、好感したことが何点かあったのですが、そのうちのひとつが「ギャルゲー色が意外と薄い」ということだったんですね。ギャルゲー色というか、尖った属性のキャラが少ないと言った方が良いでしょうか。
端的には「ルビィみたいなキャラが居ない」と言いましょうか、いわゆるマスコットキャラ的な容姿・性格・言動(3点セット)のキャラがメンバーに居ないという点に、キャラクターデザインの上手さを感じました。

ところが、Aqoursを最初に見たときの個人的な感想は、「すごいギャルゲーっぽくなったな」なんですね。ルビィはもちろん、ヨハネ、マリー、ずら丸といった、いかにもギャルゲーに居そうな尖った属性のキャラが増えてしまったことに、かなり違和感を覚えました。個人的にヨハネは好きなキャラなんですが、ラブライブ!に求めているものではない、という意味です。

「いや、そんなことはない」という意見もありましょうが、あくまでも個人的な感想です。

次にストーリーです。

これも完全に勝手な思いなんですが、私がサンシャインに期待していたのは、無印ではできない新しいストーリーだったんですね。根本的に、無印とは違う展開を見せてほしかった。
ところが出てきたのは、μ'sの影を追いまくるだけ、無印の展開をなぞるだけのストーリーでした。

「だったら、新しいシリーズでやる必要ないじゃん」と。

結局、μ'sや無印が存在しないと成り立たない内容になっていて、そこにものすごい違和感を覚えました。

あくまでも思いつきですが、例えば、μ'sとA-RISEがバチっている中、東京から遠く離れた場所でスクールアイドル活動をしている9人。μ'sに憧れるわけでもなく、ラブライブ!を目指すわけでもない。そんな彼女たちが目指すスクールアイドルのカタチとは?……みたいな感じでしょうか。
ラブライブ!を目指さないんだったら『ラブライブ!』ではないかもしれませんが、そんなの「これが、私たちのラブライブ!だ!」とか言わせとけば済む話です。
まあ展開がどうあれ、お互いの存在を意識することもなくすれ違う……その程度の見せかたで良かったのではないかと思います。

あくまでも、私の勝手な思いですけどね。

10月から虹ヶ咲が始まりますが、この展開の中ではμ'sやAqoursの影は必要以上に追わないでほしいな……と思います。

それはそれとして、今のところ虹ヶ咲の一番の不安は、アニメ版かすかすのキャラデザがイマイチ「これじゃない」感じな点なんですが……。スクスタ版かすかすの可愛さを、アニメでどれくらい表現できるのか……不安でいっぱいです。

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